ラインベルガー全集の正誤表
(歌曲のミスプリに関しては該当項目を参照してください)
弊サイトは基本的にCaru-Verlakのラインベルガー全集『Rheinberger Sämtliche Werke』正巻48巻・別巻3巻、その他から得られた情報をアセンブルしています。が、公式情報と言いますか、頼りにするラインベルガー全集にも少し間違いがありますので正誤表をまとめました。バイオグラフィーに関してだけです。
他に気づいた点がありましたら、是非ともお知らせください。(英訳文の明らかな誤字は除いています)
参考図書
○Rheinberger Sämtliche Werke 1 - 以下該当する巻の「n巻」
○Josef Gabriel Rheinberger Leben und Werk in Bilden - 以下「写真」
○Hans-Josef Irmen:Gabriel Josef Rheinberger als Antipode des Cäcilianismus
○Harald Wanger / Hans-Josef Irmen:Briefe und Dokumente seines Lebens 以下「書簡集n巻」
番外
その1
第7部 ピアノ作品第1章
全集34巻
2手ためのピアノ作品 (50.234ピアノソナタ集)
目次(Inhalt)で『ピアノソナタ 4番 嬰ヘ長調 作品184』の第4楽章が「Finale alla Tarantella」となっていますが、この楽章は「Finale」だけがタイトルとなります。おそらくソナタ1番の4楽章「Finale alla Tarantella」と混同しているようです。
どうもこれが尾を引いているようで、ハンゼルマンのピアノ曲全集(Carus:83.365)にも間違って表記されています。
その2
上と同じく全集34巻
『ピアノソナタ3番 変ホ長調 作品135』
第一楽章 1ページ目 (P52)
ラインベルガーの名前の横に作成年として「1894」と添えられてますが、これは明らかな間違いで「1883」が正しいです
その3
New!!
オルガンソナタ8番第一楽章の楽章題名ですが、これは別項をもうけましたのでそちらを参照してください
1. ミュンヘン・オラトリオ協会の練習ピアニスト就任
誤)1856年、1857年
正)1854年
1856年説は「9巻」、1857年説は「7巻」の記述です。「書簡集1巻」p.179を参照してください。なお全集では「21巻」と「25巻」では1854年になっています。
2. 聖ミハエル教会オルガニストの就任
誤)1859年
正)1863年
「1巻」と「5巻」には1859年と書かれていますが、これは明らかに間違いです。Irmen、p.77以降、また「書簡集」2巻p.33を参照してください。なお全集では「4巻」、「6巻」、「7巻」は1863年になっています。
3. 右手の人差し指で皮膚潰瘍を発症した年
誤)1867年
正)1871年
ラインベルガーは右手の人差し指付け根に皮膚潰瘍を発症し、演奏活動どころかペンも持てなくなる時期がありました。全集のクロノロジーでは1867年、「21巻」では「1870年の終わり頃から潰瘍に苦しむ」との記述。「写真」のバイオグラフィーp.21、1871年の項「右手の痛みを伴う病気のために、彼は書くことも音楽をすることもできない」と記述。従来1867年と考えていましたが、「書簡集」4巻p.55フランチスカから義父ヨハン・ペーター宛ての手紙(1871年3月1日付け)で発症の報告が成されています。この件は「右手の疾患」の項を参照してください。
4. 聖グレゴリーの騎士の叙勲を受けた年
誤)1879年
正)1880年
『Messe in Es op.109 "Cantus Missae"』をローマ教皇聖レオ13世に献呈し、聖グレゴリーの騎士の叙勲を受けた年です。
「写真」のバイオグラフィーp.23では79年の項に書かれています。が、本文p.205では1880年となっています。Irmenのp.66及び、「書簡集」5巻p.136、フランチスカから義兄ダヴィット宛の手紙(1880年7月31日付け)で1880年と確認が取れました。