右手の疾患

2019/May/10

Albrecht Dürer (1471-1528) 祈る手
Albrecht Dürer (1471-1528) 祈る手

 ラインベルガーは右手の人差し指に皮膚潰瘍(独/Knochengeschwür、英/open ulcer:医学用語については正確ではありません。open ulcerを調べて皮膚潰瘍としましたが正しい名称をご存じの方はお知らせください)が発症し、鍵盤演奏どころろかペンも持てない時期があったのですが…弊サイトではその疾患の発症年を、ラインベルガー全集の情報を集約して1867年としておりました。具体的には第1巻、第5巻、第8巻、第21巻、別巻第3巻『Leben und Werk in Bildrn 写真で見る生涯と作品』などです。ただいつ発症したのか具体的な時期は全集のクロノロジーにのみ「1867年」とあるだけでしたので弊サイトもその年を採用しておりました。

 

 ハラルド・ワンガー著作の伝記『Josef Gabriel Rheinberger』を読みましたところ、発症時のそれらしい話がありません。『書簡集』から具体的な記述を探していたのですが、1867年の付近にそれらしいキーワード「Erkrankung」、「Knochengeschwür」、「rechten Hand」が見当たりません。

 

 そこでHans-Josef Irmen著『Gabriel Josef Rheinberger als Antipode des Cäcilianismus ガブリエル・ヨーゼフ・ラインベルガー、セシリアニズムに反対意見の人』の伝記部分の該当箇所を読んでいましたら、なんと(ノ゚⊿゚)ノびっくり!!

 

 実際に右手の疾患の発症は「(1871年)3月、ラインベルガーの右手の人差し指と中指の間に、過剰なピアノの練習に端を発したと考えられる腫瘍が破裂した」(p.56)と!(゜ロ゜)ギョェ。確かに『Leben und Werk in Bildrn 写真で見る生涯と作品』のバイオグラフィーには1867年の項には記述が無く、1871年の項に「右手の痛みを伴う病気のために、彼は書くことも音楽をすることもできない」と初めて出てきます。ですが全集21巻解説序文に「1870年の終わり頃から右手人差し指の潰瘍に苦しんでいた」とあります。これは1867年から継続状態と判断しましましたので、そのまま弊サイトにも反映させておりました。

 

 ところが実際は「1871年」。典拠となります『書簡集』第4巻に収録された妻フランチスカの日記のエントリーと手紙に右手の不具合が報告されています。(編注:クルトとはフランチスカがつけたラインベルガーのニックネームです)

 

1871年3月1日義父宛の手紙

「クルトはピアノが弾けなくなるどころか執筆や作曲もできなくなる腫瘍が、この数週間の間右手の人差し指の付け根にでき、もう少し我慢しなければなりません」

 

3月11日日記

「クルトの痛みと不可解に腫れた手は、まだ物書きができません」

 

4月5日日記

「クルトはちょうどピアノの大変奏曲(*)で忙しいです。彼は右手が、生徒のブオナミチは左手が不自由だったので、二人は腕を組んで両手を合わせて演奏しました。それは同時におかしくて悲しかったです」

(*Thema mit Veränderungen op.61 主題と変奏 作品61)

 

5月17日付け義兄ダヴィット宛の手紙

「2週間前、ひどく腫れあがった可哀想な右手は全く手のように見えませんでした。大切なクルトは本当に正気で入られないけれども忍耐力で痛みに苦しみましたが、突然夜破けてしまいました」

 

 この項を読まれている方には、1867年でも1871年でも瑣末な話ではないかと思われるかもしれません。しかしバイオグラフィーを追いかけている身としますと、これはちょっと衝撃的な発見でした。まず1870年に行われた不完全な歯の治療による敗血症発症よりも遅かったことです。ドイツ語が難しいので断言できないのですが、3月1日のフランチスカから義父宛の手紙を読むと、この際の敗血症に端を発しているようにも思えます(主治医は同じくヌスバウム教授)。またラインベルガーは1867年の王立ミュンヘン音楽院で作曲とオルガンの教授就任にともない、王立歌劇場のコレベトゥ-アと聖ミハエル教会のオルガニストのポストを辞任しています。特に後者は指の疾患により鍵盤奏者の道を諦めたことに関連していると認識していたのですが、その考えを改めなければなりません。

 

 まさか、全集の記述で誤りがあるとは思いもよりませんでした(実際は他にも事実誤認の箇所があるんですけどね)。このことにより、弊サイトのバイオグラフィーも修正を施しました。もし個別の記事で右手の件が1867年のママだとお気づきの方はお知らせ願えませんでしょうか。よろしくお願いいたします。