女声合唱のための宗教曲・4編

 ヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガーは1865年、バイエルン王ルードヴィッヒ2世によって招集されたミュンヘン音楽院の再建委員会のメンバーとなり、音楽院の改革を求められる。2年後、リヒャルト・ワーグナーとハンス・フォン・ビューローによって再建された音楽院に、作曲とオルガンの教授として招かれる。10年後の1877年秋、ラインベルガーはルードヴィッヒ2世直々によって、バイエルン王国の宮廷楽長としてミュンヘン諸聖徒教会の音楽監督に任命される。ラインベルガーは学生時代からミュンヘンの教会音楽で地位を確立していた。いくつかの権威ある教会にてオルガニストを務め、ミュンヘン・オラトリオ協会の音楽監督。母校ミュンヘン音楽院での教授職。再建された同校での再招聘。ルードヴィッヒ2世は世俗音楽の分野ではワーグナーに入れあげ、破天荒な浪費によって国家を傾けるような事態まで引き起こしていた。しかし教会音楽の分野への確かな理解から、1877年にラインベルガーを当てたという事実は、二人の相反する関係をかんがみれば非常に面白い。また経歴実績をみてラインベルガーを選んだという事は至極当然のことなのだろう。

 

 ラインベルガーは幼少期から礼拝に携わっており、自信敬虔なカトリック教徒であった。7歳にして故郷ファドゥーツの自宅隣にある教区教会で最初の礼拝に携わり、その後のフェルトキルヒ(1849-51)での修業時代までオルガニストを務めた。ミュンヘンに移り住んでからも、「どんな音楽よりも教会音楽を作りたいし、その能力がある」と両親にしたためていた彼は、習作期から自発的に教会音楽を作曲していた。宮廷楽長就任時に王室とのやり取りで「真剣なスタイルを私に育もうとしているのは...遠い昔から大切な私の心です」と幼少期からの教会音楽に対する根深い、愛情を表現している。

 

 音楽院を卒業してしばらくは、交響曲やオペラのなどで名を成そうとしていた傾向が見受けられるが、作品の拒絶による挫折、その挫折の克服による成功、病気や結婚などいくばくかの人生の試練を経て、彼の作品の傾向は室内楽、オルガン曲そして宗教曲に向かいだす。宗教曲は宮廷楽長への就任から、その出版頻度は増してくることになる。

 

 ラインベルガーは17曲のミサ曲(うちレクイエム3曲)、19セットの宗教的音楽に作品番号を与えた(内容的には宗教的合唱曲だが世俗曲に分類されているものがもう1セットある)。編成の内訳としては、独唱のための作品が4セット。混声合唱のための作品が23セット。男声合唱のため物が2セット。女声合唱のための作品が7セット。ジャンルで細分化すると、ミサ曲で混声合唱が11曲。メゾソプラノ独唱のためのものが1曲。女声合唱のためのものが3曲。男声合唱のためのものが2曲。宗教的合唱曲では独唱曲が3セット。混声合唱のためのモテットや讃美歌が12セット(うち無伴奏が8セット)。女声合唱のための讃美歌が4セット(うち1セットは独唱と重唱も含む)となる。彼が宮廷楽長に就任してからの作品は全部で24セット。ミサ曲が13曲(混声が8曲、女声3曲、男声2曲)、宗教的合唱曲は9セット(混声が7セット、女声2セット)。独唱のための作品2セットとなる。

 

 ここでは比較的解説をしやすい、ミサ曲を除いた女声合唱の為の4つの讃美歌コレクションを扱いたいと思う。なおテキストの訳・内容については基本的に立ち入らないので、予めご了承いただきたい。

 

 ラインベルガーが出版した賛美歌コレクションに最も頻繁に割り当てた用語は「Hymnen 讃歌」だった。だがその作品のほとんどはその言葉の典礼的な意味で賛美歌集ではない。これは19世紀の中頃ほとんど議論にならなかったが、その用語の使用はセシリア運動の文脈では不快感を招いていた。

 

 ラインベルガーは典礼の一部として実行されることが出来る作品を指すために「Hymnen 讃歌」という言葉を使用した。対照的に「Gesänge 歌」はコンサートでの演奏、または個人的音楽制作を目的とした宗教的内容の作品を意味していた。例外はドイツ語の「讃歌」『Wie lieblich sind deine Wohnungen op.35, いかに愛すべきかな、なんじのいますところ 作品35』で、それはラテン語版でのみが典礼に添うよう適していた。ラインベルガーにとって、「Gesänge 歌」という言葉は独唱のための作品も意味していたもようだ。

 

 「純粋な」合唱音楽を理想としていたセシリア主義者と違い、ラインベルガーは独唱のための典礼音楽を作曲した。これはおそらく歌手との触れ合いから生じたのだろう。作品54は妻フランチェスカのために書かれ、作品171の1番はおそらく宮廷礼拝堂の歌手ハインリッヒ・ヴォーグルのためだろう。ラインベルガー自身は教会音楽の改革のため、この特定の運動に対しては保留の態度をとった。本項で独唱曲は作品171だけを扱うが、それらは17世紀、18世紀の宗教的アリアを模範としている。

 

 本項目で扱うコレクションは女声合唱とオルガンのための作品を主としている。例外は作品35であるが、任意でオルガンを伴ってもよい。これらラインベルガーの宗教曲は特定行事のために作曲されたものではない。また多くの宗教合唱曲や世俗合唱曲とは異なり、それらは特別な合唱団に献呈はされていない。全13作のうち、「Regina coeli (op.96の1番)」と「Alma Redemptoris (op.171の2番)」の2曲だけが依頼された作品と識別される。面白いのは両曲とも19世紀の宗教曲を支えた修道院からの依頼なことである。『Wie lieblich sind deine wohnungen (op.35)』と、おそらく作品54は出版前に修道院に送られている。女声合唱のための作品を担ったのはアマチュアとプロフェッショナルな合唱団だった。ラインベルガーは作品35をミュンヘン・オラトリオ協会で演奏し、作品118の賛美歌を宮廷聖歌隊のレパートリーに加えている。

 

 作品35を除いて作品はオルガン伴奏にて作曲され、出版社に提供された。その結果、伴奏は支持的な機能を果たし、声と一緒に演奏し1から3声の声に和声を肉付けする。それは声の部分とのはっきりした釣り合いを滅多になさない。一対一のパターンで進行しない伴奏は8分音符や分散和音の実行など短い音符で形作る(例えば作品171の2番と4番)。作品35、詩篇84(83)への伴奏はハープに関連した分散和音の編成である。

 

 (作品157と)作品171のピアノ伴奏は出版社からの事後承諾的要求から生まれた。(作品157はラインベルガー自身が、)作品171は出版社が準備した職業編曲者が編曲した。それらは忠実にオルガンの筆致に従っている。

 

残り2つの宗教的歌曲・『6つの宗教的歌曲 作品157』はすでに別項に、また『4つの讃歌 作品54』はファニー・フォン・ホッフナースのコーナーにて簡単に触れているので、それぞれそちらを参照されたし。