驚異の魔術師 op.30

1. Einleitung 導入


2.  Justina フスティーナ


3. Sturm 嵐


4. Erstes Intermezzo 第一間奏曲


5. Melodram und Geisterchorメロドラマと精霊の合唱


6. Zweites Intermezzo 第二間奏曲


7. Sieg des Glaubens 信仰の勝利

カルデロンの「驚異の魔術師」のための音楽による7つの小品 op.30

4手ピアノ連弾のための

 

Sieben Stücke aus Musik zu Calderóns

"Der wundertätige Magus", op.30

arrangiert für Klavier zu vier Händen

 

  1. Einleitung 導入
  2. Justina フスティーナ
  3. Sturm 嵐
  4. Erste Intermezzo 第1間奏曲
  5. Melodram und Geisterchor メロドラマと精霊の合唱
  6. Zweites Intermezzo 第2間奏曲
  7. Sieg des Glaubens 信仰の勝利

 


本作品は本来は戯曲のための付随音楽で、オーケストラ作品である。ただし少々話が入り組んでいる。

 

1864年年明けに完成させた歌劇『7羽のからす』作品20の初稿が、2月にバイエルン宮廷歌劇場およびカールスルーエの歌劇場から拒否を受けて、ラインベルガーはミュンヘンを去ろうかと逡巡する。この頃はフランチスカと結婚も出来ない、その彼女は病気で死ぬかもしれないと心配事が多く、彼は精神的に追い詰められた状態となる。結局は今後のキャリアの問題やフランチスカの病気がなんとかなったため、ミュンヘンに留まることとなった。秋にはこれまで指導を行っていたミュンヘンオラトリオ協会の正指揮者に就任する。そして主に経済的理由で1864年12月から宮廷国立歌劇場のコレペティートルを務めることなる。経済的理由以外にもこれまで不慣れだった演劇、歌劇や劇場を深く理解するためという理由もあるのだろう。この頃の経験が生きていたのだろう、1866年初演の『ヴァレンシュタイン』交響曲作品20で成功を収め、作曲家として世間に認知されて以降、歌劇『7羽のからす』の改訂稿は1869年の世界初演が行われた。

 

このコレペティートル就任中、劇場支配人ヴィルヘルム・シュミットからドン・ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカの戯曲『驚異の魔術師』のための付随音楽を作曲するよう依頼を受ける。1865年3月1日付けの父親宛の手紙に、「四旬節の中頃には日の目を見ることが出来る」と、付随音楽の最初の言及している。ただし実際にリハーサルが行われていることの報告は1866年10月になる。作曲者自身の手による初演が行われたのは、1866年11月10になる。当時「最新エンターテイメント情報」誌に批評が掲載された

 

ラインベルガーはこの作品のために、その高貴さ、独創性、詩的な品格が顕著な作品を書いた。この有能な作曲家は、おそらくフスティーナを描いた作品で最も成功を収めただろう。このように、彼女が音楽的に紹介される第2幕の間奏曲は、大絶賛で迎えられた。メロドラマ的な作品にも素晴らしい美しさと繊細さが表れます。全く新しい装いに驚くほど素敵な発想があります。序曲は繊細に着想されているのと同じぐらい、独創的な曲です。私たちはこの悲劇によって示された対比が、より強固で効果的な対立の中に置かれることを望んでいます。全体としては宮廷オーケストラが恒例の名人芸を披露し、温かい拍手喝采に包まれました。

 

ラインベルガーの音楽を使用したミュンヘン以外での上演は、ダルムシュタットとケルンで記録されている。1897年にエドアルド・ヴィルフリン教授が標題音楽について、嵐の音楽の例として本作品の関連箇所を上げている。

 

付随音楽とは別の言葉に直せば劇伴のことであり、現代で言うところの映画やテレビドラマので流れる伴奏音楽のことである。当時演劇には付随音楽は演劇を支える必要不可欠な要素であったが、例えばシェークスピアの舞台で最も有名な作品はメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』やバーンスタインの『ウェスト・サイド・ストーリー』(ロメオとジュリエット)だ。ベートーヴェンはゲーテの『エグモント』を作曲し、この分野の規範となっている。19世紀前半ウィーン、ベルリン、ハンブルク、ワイマール、マンハイムなど年の劇場では付随音楽が盛んに演奏された。1926年アドルフ・アーベルは付随音楽を1. 「狭義」、2. 「やや広い意味」そして3. 「広義」の3タイプに分類している。

 

  1. 「狭義」- 劇作家自身が求めているもの (例:ゲーテのファウストなら「糸を紡ぐグレートフェン」など)
  2. 「やや広い意味」- 作曲家が場面や幕間の雰囲気を自由に作り上げたもの
  3. 「広義」- その夜の指揮者が戯曲との関連も顧みず勝手に様々な楽曲から恣意的に選んだもの

 

ラインベルガーの作品はこの2番に該当する。ただラインベルガーの時代ではむしろ全盛期を過ぎていた。間奏曲は役者が用意できるまでの場つなぎ的要素も強かったが、準備ができ次第中断されるようなことがたびたびあった。上記の3.に該当するあらゆる楽曲から恣意的に編集された間奏曲集が出回っていた。

 

フランツ・リストは恣意的に選ばれた曲を幕間音楽として悪用することは容認できないと判断して、間奏曲の廃止を提唱したりしたという。1855年にベルリンで初めて音楽を一切使用しない演劇が上演された。リストは観客が文学と音楽の2つの芸術を対等に楽しめるように、音楽を劇中に取り入れて演奏すること訴えた。19世紀末になると、小規模な劇場では毎公演でフルオーケストラの維持が難しくなり、付随音楽は省かれる傾向になってきていた。付随音楽は廃れてきたが、序曲間奏曲は組曲というジャンルで生き残るになってきた。主な例としてはやはり、ベートーヴェンの『エグモント』、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』、そしてグリーグの『ペールギュント組曲』1番(作品46)と2番(作品55)だ。

 

ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカはスペイン出身の作家で、『驚異の魔術師』はアンティオキアのシプリアーノの生涯と、スペインおける「ファウスト伝説」に基づいている。ゲーテの「ファウスト」(第一部、1806年/第二部、1831年)にもよく似ているが、カルデロンは17世紀に生きた人間である(1600-1681)。

 

ラインベルガーの『驚異の魔術師』のための付随音楽による7曲のピアノ連弾曲の楽譜は、色々事情が込み入っている。まずオーケストラ版の初稿は直筆総譜は現存していない。ダルムシュタット大学と州立図書館に所蔵されていた総譜とパート譜は第二次世界大戦で失われたという。またリハーサル用に4手連弾用のバージョンが作成されていた説もあるが総譜に基づいたものかも裏付けられていないし、現存すらしていない。

 

原曲を作曲した3年後の1869年、フランチスカの求めによる出版のために『驚異の魔術師』を4手ピアノ連弾のために改定した。彼女は9月28日の日記にこう記している。

 

クルト[フランチスカによるラインベルガーのニックネーム]は『驚異の魔術師』の4手のための編曲を完成させた。彼はそこから7品選んだ。1.導入 、2. フスティーナ、3.嵐 、4.第1間奏曲 、5. メロドラマと精霊の合唱、6.第2間奏曲 、7. 信仰の勝利。

 

この4手ピアノ連弾版は1870年5月にライプツィヒのフリッツから出版がなされた。その後、やはりフランチスカの要望でこの連弾バージョンを元に管弦楽化が成された。1870年9月7日の日記で彼女は「今日彼は驚異の魔術師から嵐の器楽化の仕事をしました」と書いている。しかし、現在カールス社のラインベルガー全集第14巻に収録されているのは、この管弦楽バージョンの最初の4曲だけである。そのうち「1. 導入」は32ページ目までと不完全な形でしか残っていない。そのほかの3曲は現存しておらず、それ以外の小品にも手をつけられていたのかどうかはわかっていない。1870年以降作曲家夫妻は日記手紙などでこの曲の言及を行ってない。ゆえに『カルデロンの「驚異の魔術師」のため付随音楽 op.30』は正式な形では4手ピアノ連弾版でしか現代に伝わっていないことになる。


※本動画はCarus : CV50.244を底本に使用しました