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Orgelsonate Nr.03 in G-dur, op.088
オルガンソナタ第3番 ト長調 作品88
Pastorale; Intermezzo; Fuge
ト長調の第3オルガンソナタ,op.88は1875年5月に聖霊降臨祭のころて作られた。第1楽章に「田園 Pastorale」と作曲家自身が標題を付けたため、「田園ソナタ Pastoral-Sonate」と呼ばれるようになる。またその第1楽章冒頭にはグレゴリオ聖歌の第8聖歌の旋律を引用されている。同曲はラインベルガーの最初の音楽教師・セバスチャン・プーリーに献呈に献呈されてる。以上、終わり。ちゃんちゃん! と、その辺のオルガン音楽演奏会での通り一遍的な味気ない解説では、見もふたもないので、もう少し話を膨らませよう。
まず、第8聖歌の引用の理由はわからない。そもそもラインベルガーという人は、ほかのオルガン作曲家に比べ、いわゆる定旋律を引用することが極端に少ない人なのである。彼の楽曲の旋律はほとんどがオリジナルである。強いてあげれば次の第4ソナタにおける"tonus peregrinus"と第19ソナタ第2楽章でのギョーム・ド・マショウからの引用と、小曲集に1曲にのみである(Monologe Zwölf Stücke für die Orgel, op.162 - 6 オルガンのための12曲の独白 作品162の6)。それにしても引用されたd-e-g-g-fis-g-a-gという旋律はとても牧歌的だ。まるで辺り一面の牧草や麦畑の上を駆け巡る風のようである。特に第3楽章のフーガにおいて旋律が回帰したとき、ドローンというかアイドルというかまさにヨーロッパの田園風景・牧草地帯が目に浮かぶ。浮かばない奴は想像力に問題がある。
またこの旋律だけにおいて「田園 Pastoral」と名付けたのではないだろう。ヒントはかつての教師プーリーに献呈したことからもうかがえる。1844年、ラインベルガー家に姉たちのピアノ教師として招かれた彼は、まだ5才の男の子の音楽的天才性を見出さなければ、のちの大作曲家は存在しえなかったのである。自身の才能を見出してくれたプーリーに対し、ラインベルガーは終生の感謝と尊敬の念を持っていた。功成り名を挙げた彼は、のちの晩年のプーリーに対して、惜しみない経済的援助を与えていたのである。
同曲の完成の翌年、妻ファニーはプーリーとの直接の手紙のやり取りで、ファドゥーツ時代の様子、例えばまだ体の小さい天才オルガニストのために町の大工が足鍵盤に足が届くよう、教会のオルガンに特殊なゲタをあしらえたこと。ピアノのレッスンが終わったら教会のオルガンに立ち寄って、和音を鳴らしたりして一節作ったことなどを教えられている。
ラインベルガーの故郷・リヒテンシュタインの首都ファドゥーツは経済都市ではなかったこともあり、かなりひなびた町であった(そもそもリヒテンシュタインそのものが貧乏国。当時のドイツ連邦最貧と言われいた)。ミュンヘンという都会に移り住んだとはいえ、故郷ファドゥーツはラインベルガー原点であり、終生忘れえない地なのである。まさにかつての恩師プーリーにこの曲を献呈することとは、故郷に思いをはせることと同義なのである。またパストラルとは羊飼いのことも指す。日本における田園風景や文字どおり「田んぼ」の風景だが、ヨーロッパに居てはそれは牧草地帯。牧草に放たれているの羊だ。そして迷える羊とは庶民の事であり、それを導く羊飼いはイエス・キリストを象徴している。そうパストラルはキリストの生まれたクリスマスを意味する言葉でもある。敬虔なクリスチャンであったラインベルガーには二重の意味があったのであろう。
この旋律にはもう1件逸話(?)がある。『Der Stern von Bethlehem op.164 ベツレヘムの星 作品164』の第3楽章「Erscheinung des Engels 天使の顕現」コーダ部分、Maestoso. 35小節目以降「Ehre sei Gott in der Höhe, 天のいと高きところには神に栄光」に引用されている。第4オルガンソナタの第2楽章ように、彼にとっては大事な旋律だったのであろう。
さて、次にこの曲の問題点について述べてみよう。実はこの第3ソナタの初版楽譜において、ミスプリントがある。よりによって、第8聖歌から引用された第一楽章の冒頭、d-e-g-g-fis-g-a-gという定旋律のリズムがおかしいのである。初版楽譜は8拍のメロディーを2分音符として4小節かけてゆっくりペダルで奏でるように書かれている。だが、自筆稿は4分音符・2小節で細かくペダルで刻むパッセージなのである。
自筆稿ファクシミリ。ペダルは冒頭4分音符になっている。また冒頭部にはGraveと指定されている。またCon motoは3小節目からの指定となっている。
WebMasterは5種類の録音を所有しているが、演奏者によって初版印刷譜を使っているのか、Carusの全集出版以降なのか、と2種類の録音パターンになることがわかる。WebMasterには当初はこの異稿による録音の違いはまったくわからなかった。その存在に気付いたのは全集校訂者のマーチン・ウェイヤーによる、全集以外の選集による指摘からである。
この曲は元来4/4拍子で、4小節目から始まる両手は3連符で刻んでいるのだが、Forbergからでているウェイヤーによるラインベルガー選集はわかりやすいように手鍵盤を12/8拍子に直してあげているのである(足鍵盤は4/4拍子のまま)。そしてご丁寧に「終わりに示した提案も試してください」と註釈がある。はてはこれはなんじゃらほいと参照すると(P.8)、そこには足鍵盤も12/8拍子にしてしまって、付点2分音符、付点4分音符、付点4分音符.......と例の定旋律を3小節で刻ませるのである。なぜそうなるのかわからないから、全集、自筆譜、初版ともに見比べてみてやっと得心がいく。もともと自筆譜は4分音符で書かれていることがここで確認できたのであった。
また初版印刷譜の19-20小節の足鍵盤の定旋律は2分音符となっているが、全集稿では4分音符1小節に改められている。この箇所も自筆浄書譜を確認するとやはり本来は4分音符であることが確認できる。理由は定かではないが、冒頭にあわせたのではないだろうか・
5種類の録音の版の違いを並べてみよう
- ブルース・スティーブンス(Raven) 初版印刷譜
- ルドガー・ローマン(Motette Records) 初版印刷譜
- ルドルフ・イニッヒ(MDG) 全集稿
- ウルリク・スパング=ハンゼン(CLASSICO) 全集稿
- ヴォルフガング・リュブザム(Naxos) 全集稿 (リュブザムの演奏は2分音符で引いているのはないかと勘違いするぐらいゆっくりしているが、全集稿である)
となっている。聴き比べてみると面白い。
ハーヴェイ・グレイス校訂版(Novello)は初版印刷譜を底本としているため、足鍵盤のリズムは初版印刷譜のままである。おそらく自筆稿は見ていないのであろう。ヴォルフガング・ブレッチュネイダー校訂版(Butz)も基本的に初版印刷譜を底本にしているが、「自筆稿は4分音符」と註釈している。ただし19-20小節目は気づいていない模様で、註釈がない。
WebMasterは当初この曲にはあまりピンとくるものがなかった。だが複数回聴きこみ、主要メロディーが体にしみこみだし版による演奏の違いが分かってきだし、あくまで想像だがプーリーや故郷への彼の思いを考えてみるとこの曲がいとおしくなってくる。また上にも記したが、初版印刷譜の2分音符の音価はまるで牧草地や麦畑の上を吹きすぎる風のようにも思えるが、自筆稿に基づく4分音符の場合は牛の首つるされた、カウベルが鳴り響いているようにも思える。そして特に第3楽章のフーガにおいて第8聖歌の調べが回帰してくると、実際に見たことはないがファドゥーツの鄙びた風景が目に見えるようである。見えない奴はラインベルガーなんて聴くのをやめた方がいい。それはほとんど捨ててしまったWebMasterの故郷への思い出と繋がっているのかもしれない。