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Sechs religiöse Gesänge op.157

6つの宗教的歌曲 作品157


  1. Sehet, welche Liebe 見よ、どれほどの愛か (Carl Johann Philipp Spitta)
  2. Ich bin des Hern 私は主のもの (Albert Knapp)
  3. Wenn alle untreu werden 全ての人が不実であっても (Novalis: Friedrich von Hardenberg)
  4. Vater unser 主の祈り (Friedrich Dornbusch)
  5. Nachtgebet 夜の祈り (Friedrich Oser)
  6. Ave Maria

 

 『6つの宗教的歌曲 op.157』は3つあるオルガン伴奏を伴う宗教的独唱曲シリーズの最後の作品である。以後は宗教的独唱曲は『マリア讃歌 op.171』に含まれる「Ave Maria」と「Regina coeli」だけとなる。作品157は他の2シリーズとは違い演奏の機会を増やすためを思ったのだろう、オルガンだけではなくピアノ伴奏のバージョンも同時に出版している。『マリア讃歌 op.171』にもピアノ伴奏バージョンがある。

 

 作曲の経緯が面白く、もともとはニュールンベルク紙の編集者フリードリッヒ・ドルンブッシュが1888年3月8日、自身が教会で歌うことを前提に、作曲家の信奉者としてラインベルガーに自作の詩を送ったことがきっかけとなっている。この時ドルンブッシュは自身の声域を低声と伝え、イ音から二点変ホ音を希望を伝えている(うわ~、すごい中途半端な才能のかけらもない平凡な声域。お前は俺か? と思うWebMasterであった)。

 

 ただしこの時ドルンブッシュが提示したテキスト、「Herr, heiliger und gerechter Gott 主よ、神聖にして正義の神」は却下されている。文学者の妻をめとり、ミュンヘンの詩作サークル「クロコダイル(Das Krokodil)」(のちのノーベル文学賞受賞者パウル・フォン・ハイゼ[Paul von Heyse 1830-1914 ]も在籍していた。もうハイゼの事を知っている人はいないぐらいノーベル文学賞は権威がないけど)にもしばしば出入りし、自作のための詩を探してた作曲家を満足させるものではなかった。

 

 ここで話は終わらない。ラインベルガーはドルンブッシュの申し出に興味を持ち続け、宗教的歌曲にふさわしいテキストの検討をともに行う。ドルンブッシュの新しいテキストによる第四番「Vater unser 主の祈り」を皮切りに(11月3日完成)、終曲「Ave Maria」を12月12日完成させている。その音域はやはりイ音から二点変ホ音とドルンブッシュの求めに沿っている。そうこの曲集はバリトン歌手を前提に作られている。

 

 翌1889年の1月に出版社のフォアベルクは400マルクの原稿料を送るとともに、ピアノ伴奏バージョンの作成を提案。作曲家は1月10日にその希望に応えて作成している。彼はピアノ伴奏バージョンは独立した冊子で出版することを望んだ。

↑ハルモニウム伴奏バージョンのAve Maria, op.157,6
↑ハルモニウム伴奏バージョンのAve Maria, op.157,6

 終曲の「Ave Maria」は思い入れがあったのかもしれない。オルガンやピアノ伴奏だけではなく、ハルモニウム伴奏のバージョンも作成してある。様々な機会に歌ってもらおうと思ったのだろう。

 

 ラインベルガーがドルンブッシュの申し出に興味を持ち続けた理由はわからない。1888年は妻ファニーの体調が悪くなり、それがラインベルガーの知ることになるかならないかぐらいの頃である。彼女の病が癒えることを思っていたのかもしれない。

 

 1865年、26才の頃から始めた、教会で歌われること前提とした宗教的オルガン伴奏歌曲(『4つ讃歌 op.54』71年に出版)も、『マリア讃歌 op.171』に収録された「Ave Maria(88年12月19日)」と「Regina coeli(88年12月28日)」を最後に、彼女の死後はぷっつりと止めてしまっている(正確には出版していない)。宗教的歌曲だけではない、世俗的歌曲も途絶えてしまった。作曲家の心境はだれにもわからない。