Requiem op.60, op.84, op.194


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 まずb moll, op.60。「大レクイエム」。この曲は100%ではないが、非常に構成がモーツアルトのレクイエムに似通っている。比較対象にモーツアルトを選んだのは単なる偶然だが、Webmasterは少しばかり驚いている。伝統的な様式に従えば、似てくるのは当たり前なのかもしれないが(つまりモーツアルトに大影響を与えたM.ハイドンのそれにも似ていることになる)。

 そもそもb mollは作曲者が1865年4月3日にミュンヘンオラトリオ協会にて、モツレクを指揮して刺激を受けたことに端を発している。まず同年6月から10月にかけて初稿を書き上げる。67年にEs dur(op.84)を作曲したが、69年の大改訂を経て完成。70年7月の普仏戦争勃発を経て、同年12月12日オラトリオ協会により作曲家自身のタクトにて初演がなされた。「1870 - 1871年のドイツの戦争に倒れた英雄の記憶」として捧げ、72年にはバイエルン王ルードヴィッヒ2世に献呈を行っている。勘違いしてはならないのだが、この「英雄」とはドイツ人だけを指すのではない。当時ラインベルガーにはドイツ人だけではなく、フランス人の友人も少なくなかった。普仏戦争の勃発の悲劇に心を痛めた彼は、ドイツ人だけではなく多くのフランス人戦士の負傷・死亡にも心を痛めていたのであり、両国の「英雄」に捧げたのである。これは当時の世相、ドイツ側の対フランス感情を考えるならば、かなり珍しいことである。ここにリヒテンシュタイン出身の彼は広い意味ではドイツ圏の人であるが、決してその枠にとらわれない国際人であったことがうかがえる(この点は普仏戦争のドイツ勝利によるドイツ側からフランスへの精神的優位性にとらわれず、1878年にオルガンソナタの5番をグヴィに、1885年に同じく9番をギルマンに献呈したことからもうかがえる)。

 特徴として、数少ないフルオーケストラ編成のミサ曲である(レクイエムでは唯一)ことがあげられる。1865年と言えば26歳、まだ作曲家としての成功を夢見ていた時期である。作品番号こそ中位だが、交響曲やオペラ、室内楽と様々なジャンルの作品を発表していたころだった。大規模なレクイエムで成功を収めようと思っていたころの野心作であったのだろう。のちの二つのレクイエムたちとの比較もあるが、まさに「大レクイエム」と呼ぶにふさわしい曲である。顕著な特色としてRecordareの内の「Qui Mariam absolvisti (マリアを赦し)」とDomine Jesu Christeの「Quam olim Abrahae」が独立章として構成されている。とくに前者の6声の進行はどう聴いてもワーグナーの影響が色濃く反映されている。ラインベルガーは最終的にはブラームス派となり、ワグネリアンや新ドイツ楽派とも折り合いは悪かった。だが、まだこの頃は『交響的絵画 ヴァレンシュタイン』で成功を修めたり、一度は挫折したオペラの道を宮廷国立劇場のコレペティートルとなって研究したり(ちょうどそのころ「トリスタンとイゾルデ」の初演が行われたころであった)と、相当にワーグナーを意識していたはずである。のちのフォーレク、アニュス・デイの「Luxs aeterna」を彷彿させる。

 またb mollは随所に対位法が見受けられ、後々当代きっての対位法の大家と目された彼の片鱗がうかがえる。しかしほとんどのミサ曲では得意の対位法を封印してしまう。これは派手さを嫌うセシリア運動の影響であろう。また後々のミサ曲では見られなくなった、非常に高音の多用(bやAが数か所ソプラノに要求される)が見受けられる。

 

 この曲の初演の頃には彼の右手の人差し指の潰瘍がひどくなり、ペンを持てない状態であった。

 Es Dur, op.84。この曲が長調で書かれている理由はどんな研究者も述べていない。レクイエムなのになぜなのだろうか? 一般論としてレクイエムは短調だと思うのだが。たしかにレクイエムは死者の安息を願う歌なのだから、部分的には明るい調子になるだろう。でも基本的な調は短調ではないだろうか? M.ハイドン、モーツアルト、ケルビーニ、フォーレ、主要なレクイエムは皆そうだと思うが。そこかしこに書いているが、ラインベルガーは自作についてはいつも沈黙し、ほとんど語らない。ある意味いつも聴衆(演奏者も)を突き放し、自分で考えろばかりに黙るだけである。もしかしたら考えるのではなく感じろというのかもしれない。一つ考えられるのは、Es Dur(変ホ長調)はフラットが3つつくのである。3はキリスト教において重要な数値。それは父と子と聖霊を表す数値(故にケルビーニはハ短調でレクイエムを書いている)。このフラット3つが鍵なのではないだろうか?

 同曲は1867年6月28日から7月2日にかけて作曲された。作曲の動機はよくわからない。ヒントとして考えられるのは同年6月3日オラトリオ協会にてケルビーニのレクイエム ハ短調(おそらくこの演奏は大レクイエム改訂の契機ともなっている)を指揮し刺激されたことがあげられる。そして7月13日に姉のエリザベートが亡くなったことも考えられる。基本的にラインベルガーは作品に自己を投影することをしない人であるから一概には言えないのだが。そもそも曲の完成が先だ。姉の死因はわからないが、もしかしたら病床に就いていたのかもしれない。彼女の永遠の安息を願って書き進めたのだろうか。

 

Sanctusの終了部分のテキストの扱いで「osanna in excelsis.」と「excelsis」でおわっていない。ラインベルガーにはSanctusとBenedictusを「osanna」で締めくくるミサ曲がいくつかあるが、この曲のSactusだけは「gloria tua.」で終了している(Benedictusは「osanna in excelsis.」で終わっている)。これはレギュレーション違反であるため、しばしばセシリア主義者からの批難要因となっていた。

 

[追記:長調のレクイエムとしてはヨハン・クリスチャン・バッハ(大バッハの末っ子。ロンドンのバッハ1735-1782)のヘ長調、ミハエル・ハイドン(パパ・ハイドンの弟1737-1806)の変ロ長調(未完)、グノーのハ長調などがある]

 d moll, op.194。レクイエムはRequiem。そのイニシャルはRe。レだ。レはニ音。ゆえに多くのレクイエムはニ短調で書かれている。やはりモーツアルト、ケルビーニ、フォーレ。そして満を持してのラインベルガーによるニ短調のレクイエムである。本人はこれが最晩年の曲になるとは思っていなかったであろうが、この曲は作曲者が完成させた最後の教会音楽となっている。この曲もまたそのきっかけや制作過程などは全く資料が残っていない。下書きなどに残された記録で1900年の2月頭から書き始められ、3月20日に完成した事以外何もわからない。妻も、親兄弟、親しい友人が亡くなっていく。かつての弟子の多くは袂を分かつ者も出てくる。音楽院の仕事は続けていたし様々な表彰を受けたりしたが、その晩年はかなり孤独だったという。どのような心境でこの曲を書き上げたのであろうか?

 b mollの「大レクイエム」や「大スターバト・マーテル op.16」(いや他にもop.126とかop.169とかop.172もあるけど)こそあるが、当時のセシリア運動の影響により、ラインベルガーは自身の宗教曲をアカペラで、そしてオルガン伴奏とこじんまりした編成で作曲する道にたどり着いた。本作も同様にオルガン伴奏である。

 HostiasやBenedictusにはソロの指定があるが、これは全員で歌ってもいいし小合唱でもよい。大レクイエムを除いたミサ曲でのソリストの指定は、オルガン曲でのレジストリーの変化で音色を変える効果を応用している。必ずしもソリストのヴィルトオーソティックな独唱を求めているのではなく、必ずアンサンブルとなる。故にソロの指定は独立した段ではなく、合唱の段に書かれている。

 ラインベルガーは作曲の際、頭から最後まで下書きを行い、完了後、清書をまた最初から各楽章を順に清書する癖があった。しかし、今回のレクイエムと絶筆となった次の『ミサ曲 イ短調 作品197』は、個別の下書きが出来上がった都度に清書を行っている。彼は自身に残された時間が短いことを知っていて、未完成に終わることを危惧していたのではなかったのだろうか?

『ベツヘレムの星 作品164』全体を流れるモチーフ
『ベツヘレムの星 作品164』全体を流れるモチーフ
Tractus "Absolve, Domine"冒頭部分
Tractus "Absolve, Domine"冒頭部分

 Es dur, op.84とd moll, op.194の最大の特徴はSequentia - 続唱「Dies irae」に音楽がつけられず、Tractus - 詠唱「Absolve, Domine」が挿入されていることだろう(訳文をこのページの最下部に提示した)。この理由はわからない。「Dies irae」が省略されるのはフォーレのそれよりも20年ほど早い。確かなことは言えないが、当時のオルガン曲でのフランスへの影響力を鑑みれば、フォーレが参考にしていてもおかしくはない。また「Absolve, Domine」がある曲は非常に珍しい。オケゲムのそれには曲がつけられているというが、その他にはペーター・コルネリウスが単独で作曲しているぐらいではないか? 他の作曲家が音楽を付けた例は寡聞にして知らない。

 

 そして『d moll, op.194』のTractusの冒頭のメロディーは、クリスマス・カンタータ『ベツヘレムの星 作品164』全体を統一するモチーフと共通することを、重要視しなければならないだろう。『ベツヘレムの星』はラインベルガー夫妻最後の合作であった。その最も重要なモチーフを流用している。作曲家はレクイエムを作る上で、今は亡き妻フランチスカを忍んでいたのではないだろうか?


 困ったことに最後のレクイエムにはCarusから二つ楽譜単行本でが出版されている。一つはロイカールトから出た初版楽譜の復刻版。上の写真・左の茶色の表紙。もう一つが全集からの分冊の批判校訂版(同じく右の緑の表紙)である。で問題なのはこの違いを全く理解せずに混同して演奏してしまっている団体があることである。しかも専門家がやらかすもんだから参ってしまう。

 

 実は初版楽譜には誤植がありラインベルガー自身が勘違いしたのか間違っており、「Tractus - 詠唱 -」が「Graduare - 昇階唱 -」と間違って記されて出版社に提出した浄譜に記されており、そのまま出版されていたのだ。全集(及びその分冊)ではTractusに直されている。ラインベルガーは相変わらずよくわかっていなかったのである。

 

 某音楽大学での演奏でのパンフレット解説がかなりむちゃくちゃで、『中心に位置するはずの「続唱 Sequenzia」や、出棺・埋葬に歌われる「楽園へ In Paradisum」が含まれていないことは、主要な対比部分を欠くことを意味し、全体は一貫した雰囲気を讃えている。』。わかる? まず文章の意味が通っていない。「主要な対比部分を欠くことを意味し」ているのに「全体は一貫した雰囲気を讃えている。」なんて頭の悪いWebMasterには何を言いたいのか全くわからない。そしてだ、「続唱」が無い件はまだしも、「楽園にて」に曲をつけている作曲家なんてフォーレとデュルフレぐらいなもんだろ。あとはラッソとマルタンぐらい。一般的にレクイエムで歌われないだろ。

 

 で、極めつけは『また歌詞テクストから見れば「昇階唱 」ではなく「詠唱 Tractus」が作曲されているが、この部分は<昇階唱>と名付けられている。』。当たり前だ馬鹿、それは初版の楽譜だけ見て解説しているんだろ。しかも舞台上の合唱は緑の分冊版を手にしている。ちょっと確認すればわかることなのに(茶色の楽譜には復刻としっかり書いている。)両者を比較すれば茶色が間違っているのは一目瞭然。そんな馬鹿な間違いよりも、なぜTractus(これも一般的に作曲されないテキスト)に作曲されているのか考察しろよ。よくこんなんで、大学の准教授が務まるもんだと呆れかえってしまい、あまりのひどさにアンケートはぼろくそにこき下ろしてしまったものである。

 レクイエムに関して逸話を一つ。晩年に知り合ったベルリン在住のヘンリエッタ・ヘッカーにラインベルガーはこうしたためている。

 

 20才の時、「大規模なレクイエムを書いてみたい」と友人でもある先生(G.ヘルツォーク)にそう言ってみました。彼は言いました。「君にはまだレクイエムは書けない」。私は自分の技量に自信がありましたので、「どうしてですか?」と尋ねました。「なぜなら、君は若すぎる。つまり君は人生という主題の深さに到達する経験をほとんど踏んでいないからだ」。いくらか怒られました。10年後彼がどれほど正しかったかわかりました。

 

 この件を伝記作者クロイヤーはのちの大レクイエム op.60だと想定してるが実際は1857年に書かれたレクイエムの断片(JWV 108)が存在している。ゆえに逸話は本当なのであり、実際ラインベルガーがレクイエムの断片を書いたのは18才。彼が「20才」の時であると述べたのは「20才」の女性に対する配慮だろう(当時のヘッカーよりも年下であったことから教育の違いをひけらかさないようにする)と全集校訂者の一人ハン・タイルは述べている。WebMasterは違うと思う。ラインベルガーは単に間違えたのだろう。特に根拠はないけど。

 「Requiem JWV108」はヘ短調ソプラノソロ、混声四部合唱、ピアノのための作品である。1857年6月前述のとおり、作曲家18歳のときに作曲された。入祭唱 (Introitus)のみに曲がつけられている。「Te decet hymnus, Deus, in Sion, et tibi reddetur votum in Jerusalem.」の箇所にソプラノソロを起用していることから、モーツアルトのレクイエムを意識していることがうかがえる。復元を試みてみたが、習作の域を出ていないだろう。

 

 ラインベルガーにはもう1曲、Requiemがある。1877年6月に「Requiem aeternam, WoO 46」を作っている。その生涯で5曲のレクイエムを作ったことになる。この曲は出版されなかった。無伴奏混声六合唱、変ロ長調(!)、やはり入祭唱 (Introitus)のみに曲がつけられているが、こちらは「ad te omnis caro veniet.」で終了し、入祭唱としては完結していない。だがこの部分で完成の日付をいれ完了していることから、この箇所でいったん区切りをつけていることがうかがえる。約1か月後には宮廷楽長としてミュンヘン諸聖徒教会の音楽監督のポスト就任の打診。秋にはバイエルン国王・ルートヴィッヒ2世直々の任命とキャリアの頂点に立つのだが、この件がその後に続くテキストに曲をつけなかった理由なのかもしれない。


 以下、3曲の楽章構成を比較してみた。Carus版を参照している(モーツアルトは適当)橙色は楽章の大タイトル。括弧内は独立した章立てではなく、直上の楽章に含まれる。

モーツアルト K.626

(参考)

op.60 b

SATB soli, SATB

orchestra 

op.84 Es

SATB

a cappella

op.194 d

SATB

organ

 

1865/1869

1867

1900

Introitus Introitus et Kyrie Introitus Introitus et Kyrie*1
Requiem aeternam Requiem aeternam Requiem aeternam Requiem aeternam
Kyrie

Kyrie

(ソロ使用あり)

Kyrie Kyrie
------ ------ Tractus Tractus
------ ------ Absolve, Domine, animas Absolve, Domine, animas
Sequentia Sequentia ------ ------

Dies irae

Tuba mirum

Rex tremendæ

Dies irae

(Tuba mirum)

(Rex tremendæ)

------ ------
Recordare

Recordare

(ソロ使用あり)

------ ------

(Qui Mariam)

Qui Mariam ------ ------

Confutatis

Lacrimosa

Confutatis

(ソロ使用あり)

(Lacrimosa)

------ ------

Offertorium

Offertorium Offertorium Offertorium

Domine Jesu Christe

Domine Jesu Christe Domine Jesu Christe  

(Quam olim Abrahae)

Quam olim Abrahae (Quam olim Abrahae) (Quam olim Abrahae)

Hostias

Hostias ------ Hostias

Sanctus

Sanctus Sanctus Sanctus

Sanctus

Sanctus Sanctus Sanctus
Benedictus

Benedictus

(ソロ使用あり)

Benedictus

Benedictus

(ソロ使用あり)

Agnus Dei Agnus Dei et Communio Agnus Dei Agnus Dei et Communio*2
Agnus Dei Agnus Dei Agnus Dei Agnus Dei
Communio ------ Communio ------
Lux aeterna Lux aeterna Lux aeterna (Lux aeterna)
Requiem aeternam Requiem aeternam ------ Requiem aeternam

Carusにてop.194の単行本は初版復刻版と全集分冊版の2種類があるため注意が必要である。特に復刻版はTractus-詠唱(Absolve, Domine, animas)をGraduale-昇階唱と誤記しているので、非常に注意を払わねばならない。ちなみにCD・carus(83.140)もGraduale表記としているので、手におえない。


*1

初版復刻版には表記なし

*2

初版復刻版は「Agnus」とだけ表記されている


Absolve, Domine 訳文

Absolve, Domine, animas omnium fidelium

defunctorum ab omni vinculo delictorum.

Et gratia tua illis succurente,

mereantur evadere judicium ultionis.

Et lucis aeternae beatitudine perfrui.

主よ、全ての死せる信者たちの魂を

全ての罪の絆から解放して下さい。

そして汝の恩寵が彼らに援助することによって、

彼らが最後の審判の罰からの逃避と、

永遠の光の喜びの享受をを得させられますように。

出典:やばい、どこから引っ張ってきたかわからなくなってる orz